もしかしてもしかすると、全ての恐れは笑いになるかもしれない。

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テルです。

これはまだ何の証拠も立証も、なんてことないただのひとりごとですが、仮説を立てて勝手に一人で検証してみました。

かなりマニアックな本からの、概念からの引用もあります。

ひとりごとですので、受け入れることが厳しそうな方はYahoo!ニュースに戻っていただいても結構です(笑)

 

恐れは存在しない。だから笑える。

かなり濃いひとりごとをします。部活顧問のテルです。

「全ての恐れは笑いになるかもしれない。」

ただ単に面白おかしく笑い話にして吹っ飛ばそうなんて生易しいものではないです。

そんな次元じゃない。

 

「全ての恐れは本当は笑いそのものなのかも知れない。」

ちょっと意味わかりませんか?(笑)

とある有名な、精神世界では知らない人はいない?辞書みたいな、分厚すぎる怪しすぎる意味不明な本(言いながらも大好きな本)「奇跡講座」にはこう記載されてあります。

※マジでマニアックな世界に入っていくので、簡単な説明だけが必要な方は下の方に進んでね(見出し:そんなものはなかった。マジか。)

 

恐れ [fear]

自我の感情であり、神が私たちに与えた感情である愛と対照をなす。

自分が犯した罪のゆえに処罰が与えられるだろうと予測して生じる感情であり、私たちの罪悪感がそうした処罰を要求する。

自分は処罰を与えられるだけのことをしたと信じることで恐怖が生じ、その恐怖によって、私たちは他者を — 否認と投影という精神力動を通して — 攻撃して自分を防衛するようになる。

だがそうしたやり方は自分の傷つきやすさや弱さの感覚と恐れを強めるだけであり、恐れと防衛の悪循環を確立することになる。

※JACIMより引用

ナニイッテルカワカンナイ(´⊙ω⊙`)

はい、正しい反応だと思います(笑)

 

自我とか神とか何言ってんすかと。わけわからんわボケと。

 

こういう話が好きな方、僕の解釈に対して、

「まだまだ青二才よの。若造、私が教えてやろう。」

と、いう親切心の塊でコメントいただける方、大歓迎です(笑)

 

で、話を更に進めます。

罪 [sin]

神からの分離が実在すると信じる信念のことであり、自我によれば、これは創造主に対する私達の攻撃であり、神は私達を決して赦さないのだから、修正不可能な行為とされる。

罪悪感へとつながるものであり、罪悪感は処罰を要求する。

分離の同義語。自我の思考体系の中心をなす概念であり、ここから他のすべての概念が論理的に導き出される。

聖霊にとっては、訂正され、赦され、癒されるべき、私達の思考の誤り。

※JACIMより引用

 

さー、遠慮なく引用します。

 

自我 [ego]

<分離した自己>、または<偽りの自己>が実在すると信じる信念のことであり、こうした“自己”は神が創造した真の自己の代替として作り出された。

罪、罪悪感、恐れ、および、自分を保護するための特別性に基づく思考体系を生起させている<分離の想念>のこと。

私達の心の一部分が「自分は、キリストの心から分離している」と信じており、心のその部分を自我と呼ぶ。

この分裂した心には、更に<間違った心の状態>と<正しい心の状態>という二つの部分がある。

ほとんどの場合、<間違った心の状態>のことを指すが、分離した心の一部でありながら<正しい心の状態>を選ぶことを学ぶ部分を含むこともある。

恐れ、罪、自我という3つを引用しました。

これが何やねんっちゅー話ですが、

僕を含め、ほとんどの人が自我の策略にハマっているということです。

 

で、もっと簡単に言っちゃうと…。

 

そんなものはなかった。マジか。

「自分の恐れ、罪、罪悪感」

そんなものは初めから何もなかった。

と、いうことです。

 

ここがそもそも大丈夫、そもそも愛されていた、そもそも守られていた、そもそもあった、と言われる所以です。(ゆえんとか言ってるわ笑)

「いやいや!罪って程のもんじゃなくても自分が悪かったとこってあるやろ!間違いを犯したことは謝らなあかんやろ?」

→相手の服にカレーをぶちまけたのなら素直に謝ってください。そういうことではないです。

 

で!で!

そもそも何も存在してなかったのもを、自分があたかも存在してるように作り上げ、それを見て恐れ、また恐れ…。

を、繰り返しているようです。

 

バカじゃなかろうか?

人間ってバカじゃないんだろうか?笑

 

「私が悪いんです。私が罪を背負います。私が何とかします。私が代償を。私が…。」

と、罪悪感を感じまくるループ。

巷ではデスループともいう。

 

ほんまに、

バカじゃなかろうか?笑

何やってんだよおれは笑

 

自我の企みは巧妙です。実に。

罪悪感を、恐れを、「自分」で生み出させて「自分」で解決しようと、何とかしようと仕向けるプロ。

それは無かったなんて思わせないプロ。

 

そしてまた作り出すプロ。

このプロが確実に心にいる。

消滅しないように必死で恐れに繋げるプロ。

 

そして挙げ句の果てには肉体を死に追いやるプロ。

あぁ、恐ろしすぎる。そんなやつが中にいるなんて…。

自我の怖さはまた別の記事にでもたんまりと(あんま考えたら取り込まれそうで怖いぜ)書きたいと思います。

 

ってことは?

で、ですね。本題の恐れは笑いになるっちゅー話です。

ここまでで恐れは本当は存在しないものだと、みんな自我によって実在すると思わされてるものだとお伝えしました。(ほぼ引用で)

 

じゃ、信じられんけど、なんかよくわからんけど、胡散臭いけど、ありえへんと思うけど、

一旦、そうらしいよ?という設定にします。

恐れは無いらしい。と。

 

ここからは手順を書き記します。(巻物かよ)

  1. 「恐れは無い」という設定にする。(信じる必要も思い込む必要もいきなり消し去る必要もなし。)
  2. 今、ご自身で感じている「恐れ」を1つ感じてみる。(お金がないとか、嫌われちゃうとか)
  3. そこに思いっきり浸ってみる。(こわいですよね。でも大丈夫。今は恐れが無い設定です。本当はそんなもの無い設定。)
  4. その恐れ自体に、自分が感じたこと(マジ怖いわ。ありえへんわ。ビビってるわ正直。クソやわ自分。負けてるわ自分。ちびりやわ自分。あー、嫌われるわ自分。あーなるわ、こーなるわ。)正直に素直に気ままに言う。(ノートに書き出す、携帯メモでもいいかな?)とにかく誰に言うわけでも見せるわけでもないので、ありったけ思うがままに吐き出す。
  5. 笑う。だってホントに無かったから。

 

これが巻物の力です。(おい)

3と4は一緒かな?分ける必要なかったかも。まーいいや。(巻物適当かよ)

 

私はお金に関すること、身体に関することに対してやってみましたが、最後には笑ってました。

気にしていた些細なことが気にならなくなりました。もう不思議としか言いようがない。

 

ま、そもそも無いものを自我のプロフェッショナルな仕事のおかげであるものにし、それに怯え、叫び、逃げ、つきまとわれ、

ループを繰り返してたわけですから、結果、笑うなんてビックリ仰天、世界まる見えです。

 

終わりに:どうしようもなくなった時に笑うしかなくなるよね。

「も、もうアイツには勝てねぇ。フッ。笑うしかねーぜ。」

な、状態ですね。ほんともう。

「フッ。のび太。おれには絶対に勝つことなんて出来ねーぜ。笑っちゃうぜクソ野郎。」

な、感じですね。若干口悪いジャイアンですね。

 

何というか余裕。マジでなかった。笑ける。

どーしよーも無くなった時に笑う。

そんな感じですかね?

 

少々長いひとりごとでしたが、にっちもさっちも行かなくなってしまった場合、ぜひ試してもらいたい方法の1つでした。

最後に笑うのは、私だ。神々のアソビィィィ。

※モンスターエンジンより引用。

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